非暴力三原則

 

暴力(イジメ・パワハラ)

これは人間社会の永遠のテーマである 

世界中どこの国であれ、大人社会にも、子供社会にも

ありとあらゆる人間社会に存在しうるものである

そして人類がどんなに進化しようと決してなくならないものでもある

でもそれは「人間社会の素晴らしさの裏返し」ともいえるのだ

なぜなら人間には心があり、肉体があり、そして自由がある

だからこそ感動的な人間愛も生まれれば

憎むべきイジメ・パワハラ・暴力、果ては戦争も必然として生まれるのだ

そうであるなら人間としての心構えは

<イジメ・パワハラ・暴力はしない・させない・みてみぬふりしない>

この非暴力三原則のルールが大切であり必要だ

第一にまず何より自分自身がイジメ・パワハラ・暴力を振るわない

体罰も問答無用でダメだ


心と言葉を尽くせず

相手を説得できないからこそ力に頼ってしまうのだ

力に頼る人間は自分の心と頭の弱さをひけらかしているのと同じである

第二に目の前の相手にもイジメ・パワハラ・暴力をふるわせてはいけない

相手が殴ろうとしたら殴らせてはいけない

また目上だからと言ってイジメやパワハラをさせてもいけない

それは<自分が傷つき><相手を暴力者にさせ><暴力を許す空気を作る>からだ

自分だけの問題ではなく

三つの意味で殴らせてはいけないのだ

第三に第三者が暴力を振るう行為もできる限り未然に防がねばならない

誰かが傷つき・誰かが暴力者になり・暴力を許す社会にしないためだ

そんな時は警察に頼めばいい?

警察にできるのはほとんどが事後処理である

だれかが傷つき、だれかが暴力者になり

暴力を許す空気を作ってからでは遅いのだ

ほとんどのイジメや暴力沙汰を未然に防ぐのは


当事者たちの人間愛とそれに基づく勇気

が発揮されるか否かで決まるのだ

だからこそ太古の昔


「武」

という概念と文字が生まれたのだ

「人間同士がぶつかり合って火花が散っている、それを

見て見ぬふりをせず誰かが人間愛と勇気をもって止めなければならない」

そこからあらゆる武道や武術が生まれた

そうして中国では国家の管理下とは別に市中の平和が守られていたのだ

しかし

中国の為政者は武術や武道が市民に広まる事を懸念するようになっていく

何故なら自分達の政治に対して武道家達が民衆を扇動して

ずけずけと言うべき事や言いたい事を進言するようになったからだ

政権側は軍隊を出動させるも武術や武道に長けた彼らに痛快に撃退される

そんな光景を見た為政者が考えることはたった一つ

「武術や武道が民衆に広まらないようにしなければ国民を管理できない」

それによって多くの武道や武術が取り締まられ出したのだ

果ては漢字学者に 「武」 を軍隊を礼賛する解釈に改めさせた

そして日本の漢字学者もそれにならって「武」を解釈し辞典を作っている

しかし会意(かいい)文字としての「武」を見つめれば

純粋な人間愛から生まれた平和を願う文字であることは明らかだ

つまり中国で生まれた「武」という崇高な人間愛は

その中国の為政者の都合によって捻じ曲げられたままなのだ

ここに東洋社会の不幸がある

・・・・・・・・・・

いずれにせよ

どんなに腹が立とうと

どんなに感情が高ぶろうと

どんなに罰を与えたくても

決してイジメ・パワハラ・暴力はふるってはいけないし許してもいけない


たとえ体罰でたたこうとしても思わず感情が入ったら

けがをさせてしまうどころか心までも傷つけかねない

コントロールできる人もいればできない人もいる

だからこそ体罰も一切禁止にすべきなのだ

そして何より心を尽くして言葉を尽くす

そのために人間には心があり言葉があるのだ

人間が人間社会で生きる限りこの精神を高めなければならない

それは学校の勉強や会社の仕事とは別次元のことである

言いたいことや言うべきことがあったら

間髪入れずに

相手がだれであれ

胸に思いをためずに


口に出して思いや意見をハッキリと言う

人間社会においてそれが何より大切なルールだ

そしてそれは自分だけでなく目の前の相手にもそうさせる

一方的に言いたいことを言うだけではそれはまさにパワハラだ

決して暴力(パワハラ)は自分自身もふるわないし相手にもふるわせない

暴力はふるう人間にも振るわれる人間にも周りで見守る人間にも

すべてにおいて何も生まれぬ不毛の行為であり

決して許してはならない行為なのだ

たった一つの暴力(イジメ・パワハラ)の芽

その芽を摘むか放置するかの選択

この取捨選択で人間社会はいかようにも大きく変わるのだ

そして一人一人の人生も良くも悪くも大きく影響を受ける

どちらにせよイジメや暴力は目立たぬように行われる

教師や上司の見えぬところで陰湿に行われるのが常だ

という事は

イジメや暴力(パワハラ)を止めさせるのは

生徒目線や市民目線でしかできないという事だ

そしてイジメや暴力(パワハラ)は小さな芽の内に摘めば大事に至らない

自分達のクラスや職場の小さな社会

そんな自分たちの社会にイジメ・パワハラ・暴力を許すのか許さないのか!?

一度でも許せばその芽は確実に大きくなる

そして大きくなればなるほど手に負えなくなってしまう

そしてあらゆる不幸や悲劇につながって行く

・・・・・・・

学校の勉強や会社の仕事がいくらできようが

こんな時に「見て見ぬふり」「感じて感じぬふり」では人間失格!!

人間の目と心はそんな事をするためにあるのではない

いじめを受けてる人がかわいそう!?

それだけではイジメや暴力を止める勇気は湧いてこない

イジメをしている人も放っておいたらかわいそうな人生を歩んでしまう!!

このまま放っておいたら二人とも不幸になってしまう!!

それどころか見て見ぬふりする自分も!!

自分たちの小さな社会も不幸になってしまう!!

・・・・・・・

そう思えるからこそ止める勇気も湧いてくるというものだ

また暴力をふるう者も

止めに入った人間がイジメてる相手だけでなく

暴力をふるってしまう自分への人間愛も感じることができるならば

熱くなってしまった心も冷静さを取り戻せるというものだ

そうなると振り上げたこぶしも力が抜けていく・・・

またいじめを受ける人間も言いたいことや言うべきことを言わず

いつまでも耐えるだけなら相手を増長させるだけではすまない

いつか立場が変わるとたまったストレスで自分がいじめる側になってしまう

・・・・・・・


つまり人間が幸福な人生を歩めるかどうか!?

それは

強い人間愛を持てるか持てないか!?

すべてはそれで決まるのだ

裏を返せばイジメ・パワハラ・暴力の芽はどこに行こうが存在する

小さな芽の内にそんな芽を摘む訓練をする

君がそれをする事で

どれほど君の行く社会が幸福になるだろう

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