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「武」

この文字を辞典で調べてみるとこう書いてある

一般的には

強い・たけだけしい・勇ましい

会意文字として

ほこを止める事が武本来の意義とされる

また一説に

人がほこを持って前進する意

・・・・・・

なんだか分かったようでわかりにくい解説である

*ほこ(鉾)とは昔の中国の武器でカマとカナヅチを併せたような物

しかし

武の真実はシンプルで感動的でさえある

それは子供の目で見れば分かる筈だ


それは棒と棒がぶつかって火花が散っている

その間に入って止めると言う事だ


*ここで言う棒は人であり、場合によっては武器を持つ*

今では使われる事のない漢数字の弐(二)もそうだ

一人の人間ともう一人の人間がぶつかり合って

火花を散らせている

まさに人生の醍醐味がそのまま文字となっているのだ

心身が健康であれば素直にそう思えるではないか

坂本龍馬も釈迦国の王子も

唯一の財産は健康な心と体だった筈である

だからこそ自分の目に映る小さなイジメや不正は

正さずにはいられなかったのだ

そうしなければその日一日を幸福に過ごせなかったのだ

将来出世して立派な人間になってからやろう

などと悠長な考えは持たなかったのである

だからこそ彼らは人生を痛快に生き切ることができたのだ

さて、そのように武をシンプルに解釈するならば

人間同士がぶつかり合って

友情の火花や恋の火花を散らすように

プラスの火花を散らす事は

まさに人生の醍醐味である

しかし、利害や感情のもつれでぶつかり合って

話し合いで解決せず、けんかになり

果ては傷つけあい、殺し合いになった場合

やはり誰かが勇気を持って止めなければならない

それを見てみぬ振りして放っておいて

幸福な人生など送れるわけがないし

幸福な社会もおとずれはしない

古代の中国において

人が集まりだして人間社会を形成するようになり

あちこちでいざこざも起こるようになる

果ては殺し合いになる事もある

かと言ってうかつに止めに入ったら

感情的になっている当事者達に何をされるかわからない

まただからと言って放って置いて良い訳もない

そこで、心ある人が

「武」という概念を生み出し

見た目にもすぐに分かる文字にした

そう考えれば何もかも合点がいくのだ

人間が平和で円滑な社会を維持するためには

いつ起こっても不思議ではないこのような事態に

感情的になった者または両者を鎮圧する

術(ノウハウ)を確立しなければならない

それこそが純粋な「武」の考え方なのである

では何故、「武」の解釈も書き順も

分かりづらくされているのだろうか

意味が伝わりやすい書き順にすると

まず、上の横棒

次に、右のたて棒

そして、火花の点を上と右に

最後に止めるを入れる

しかし、習字の先生はそれを許さないのだ

私は武の解釈も仏教と同様

中国の時の権力者によって

都合よく捻じ曲げられたものと考える

実際、純粋な人間愛に基づく武に長けた

強くて正しい民衆のリーダー的な人間は

中国では当然ながら数多くいた筈だからだ

しかし時のほとんどの権力者は自分の政治を行う上で

民衆に人気があり

政府を恐れもせず堂々と言いたい事や言うべき事を

ずけずけと言ってきたり武力行使で活動する彼らを

面倒な存在とし弾圧したに違いないのだ

それは散在する史実を集めれば明らかになる筈だ

中国政府は認めたくなくとも心ある民衆は知っているのだ

それだけでなく

民衆に武の心や武術が広まるのを恐れた時の権力者は

政権内の漢字学者に

「武を難解で分かりにくい物にせよ」

「いや、どうせなら軍隊を謳歌する解釈に変えてしまえ」

と命令したのではないか

つまり、人間愛から生まれた「武」という概念を

「武器を担いで歩く」という軍隊を謳歌する風に捻じ曲げたのだ

しかし、それ自体は歴史の必然であり

今さら、天国かどこかにいる彼らを追及しても始まらない

どちらにせよ「武」本来の概念を民衆が持つ事は

当時の為政者にとっては良しとしなかった筈である

日本の漢字学者諸先生はどう考えられるだろうか

人類がいかに進歩しようと

常に平和ほど価値があり努力を必要とするものはないのだ

「武」が生み出されて何千年になるのだろう

今では相当に曲解されてしまっている

しかしどこをどう探しても

「武」

以外に人間愛を実践し

平和な社会を作る力を持つ文字がないのだ

そういう意味では日本の国旗や国歌も同じ境遇と言える

日本の軍事政権に利用され汚された

国旗や国歌そのものに何も罪はないのだ

それなのに狭量な人達は軍事政権のみならず

悪用され汚された国旗や国歌までをも憎もうとする

「武」も「日本国旗」も「日本国歌」も

汚したのは我々人間なのだ

それなら我々人間の手でもう一度きれいにし

純粋な美しい姿に戻して見つめ直さなければならない

そして人間愛と幸福道を実践する

平和を象徴する文字として

東洋社会は

世界に「武」という概念と文字を誇るべきである



 

 

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