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人と人の間で生きる

だからこそ人間なのだ

いろんな人とぶつかり合っていろんな火花を散らす

それこそが人生の醍醐味なのだ

その上で親友や恋人とめぐり合い

やるべき仕事も見つかるのだ

そのために必要なもの

それは優秀なエンジンである

人間にとってそれは何よりも健康な心と体である

心身が健康であれば

いろんな社会でいろんな人達に

自分という個性をぶつけることができる

相手もまた心身が健康であれば

相手の個性でぶつかってくれる

いろんな色の火花が散る

人生は、こんなに楽しいことはないのである

人類の歴史は人間同士のぶつかり合いによって生まれた

文化と感動の記録である

しかし、エンジンだけでは幸福な人生は歩めない

車と同様、エンジンが優秀であればあるほど

優秀なブレーキが必要なのだ

それこそが東洋における「武」の心である

西洋に置き換えれば「ヒューマニズム=人間愛」である

「武」

それは

「人間同士がぶつかり合って

異様なマイナスの火花を散らしている状態

それを誰かが止めなければならない」

という思いが込められた文字である

「武」から派生した言葉は数多い

そして何より「武」を構築し統一した者が

国家を統一し、権力を握った

不純なものも少なからずまじるようになった

しかし

「武」に込められた純粋な思いは

まさに人間愛そのものなのだ

私は平成24年現在57歳であるが

学校教育や放送媒体から

そのような「武」の知識を得たことはなかった

ある武道を修業する過程で

その創始者の書物から学んだのだ

果たしてそれでいいのだろうか?

現代の日本を見て

「特定の武道を修業する者だけが

武の真意を理解していればいいのか」という事だ

私は今こそ、できる限り多くの人たちが

武に込められた純粋な人間愛を理解しなければならないと思う

そしてこれは特に

「物心ついた子供達や若者達に広く教え理解させるべきだ」

と思うのだ

イジメや不正を見て

「それはおかしい」と感じる健全な心

「それはおかしいよ」と言える勇気

「やめようや」と行動できる行動力

これらをいかに小さい内から養うことができるか

日本の再生はまさにこれ一つにかかっている

と言っても決して過言ではないだろう

そして

イジメや不正は目立たぬように行われる

また

イジメや不正はその規模が小さければ小さいほど

早く止めさせる事ができるのだ

つまり生徒目線、市民目線で

純武心を発揮する事こそ

イジメや不正の当事者を改心させやすいのだ

そして

ドキドキしながらも勇気を持って行動し

やりきった人間はさわやかな達成感を得る

自信ができてそれが習慣となる

どこへ行っても誰が相手でも

自然にそれができるようになる

どこへ行ってもストレスが溜まらず

ますます心身が健康になる

そうして頭でっかちでなく

正しさと強さをバランス良く積み重ねる

どこへ行っても

その社会の空気をさわやかにする人間へと成長する

そうなればそんな人間のいる社会は

放っておいても良くなる

その反対に

「そんな時は見て見ぬ振りして関わらないようにしなさい」と教え

子供達が忠実に守ったらどうなるか

彼らはどこへ行ってもイジメや不正には目をつぶり

会社や役所の上司が不正をしていてもわれ関せず

それどころか

これがマニュアルとばかりに踏襲する

まさに現代の日本を見れば判る事だ

結局

イジメや不正に対して見て見ぬ振りするような人間は

どこへ行っても幸福にはなれないし

そんな大人が造る社会もまた

幸福にはなれないという事だ

われわれの大切な子供達に

何よりも人間として生きる事の醍醐味と

そのためには人間愛と勇気が不可欠なのだという事を

今こそ広めなければいけない

またわれわれ大人達も決して遅くはない

小さな言動一つからでも良いのだ

あらためて「武」の真意を見つめ直し

われわれの生活に取り入れようではないか




 

 

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