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私の釈尊像~

今から二千四百年も前

インドにある王国があった

その国の国王は

民衆に慕われる立派な存在であった

国王には息子がいた

その王子は伸び伸びと自由奔放に育てられ

飛び切りの健康な心と

飛び切りの健康な肉体を持っていた

もちろん女の子にはモテモテで

飛び切りのカワイイ娘と結婚もし

可愛い男の子にも恵まれた

彼の毎日は何不自由なく幸福であった

しかし彼は見てしまったのである

自分の国の外を

そこは食べ物がなくて飢え死にする人々や

弱い者イジメや不正な事をしてでも

自分さえ良ければいいと考える人で

溢れ返っていたのだ

誰よりも健康な心と誰よりも健康な肉体を持つ王子は

とても不幸な気持ちになってしまった

そんな事は見なかったことにして

自分の国に帰って

かわいい妻と子供と自分の王国で幸福に暮らそうと

無理やり帰り道についても暗い気持ちは晴れなかった

そして考えたのだ

自分自身は自分の王国にさえいれば

幸福に暮らしていく事ができる

だけど

自分の国の外には不幸な人々があふれ返っている

あのような人々の存在を知ってしまった以上

自分の王国でぬくぬくと幸せに暮らせるわけがない

天から授かった

誰よりも健康な心と

誰よりも健康な肉体を

あの不幸な人々を助けるために使わなければ

神様からきっと叱られるに違いない

王子は両親と愛する妻と子供に

「自分の知らない世界には不幸な人々がたくさんいる

私はその人々を救う旅に出たい!」

と自分の強い思いをぶちまけたのである

両親や妻子は涙ながらに引き止めたが

彼の決意は変わらなかった

旅に出た彼は当初

同じ出家者の間で流行していた

難行苦行で悟りを開こうとするも

何も満足のいく答えは得られなかった

わかったのは難行苦行の無意味さだけであった

難行苦行でぼろぼろになった彼に残ったものは

彼を旅へと駆り立てたもの

そう

人々への人間愛だけであった

もう彼に迷いはなかった

そして自分なりに社会に飛び込んで

迷える人たちにぶつかっていったのだ

食べ物がなくて困っている村には

祖国の国王である自分の父親に頼んで食料を送ってもらった

その食料を持ってきたのは

祖国の屈強な6人の若者だった

彼らは国王から王子を連れ戻すよう特命を受けていた

しかし王子は彼らにこう言ったのだ

「おまえたちもぬくぬくと豊かな祖国で暮らすよりも

不幸な人々を幸福に導く俺の旅に付いて来い!

その方がずっとお前達自身も幸福になれるぞ!!」

と説得したのだ

王子の熱い言葉に首を横に振る者などいなかった

祖国からの食料のおかげで村人達の健康が回復した

そこで今度は水田や畑そして水路の整備の指導をして

村人達が食料に困らないよう

自立できるように導いたのである

次の旅の途中

弱い者イジメの光景を見つけた

彼は暴力を受けて血を流す人だけでなく

暴力を振るう者も

その光景をおろおろと見守る人々も

さらにはえらいものを見てしまったと

見て見ぬ振りをして通り過ぎようとする人々をも

かわいそうでたまらなかった

何故ならみんな不幸な選択をしているからだ

彼は何も恐れなかった

彼はまず暴力をやめようとしない者の手首をねじり上げた

そして

「お前は何のために生まれてきたのだ」

と聞いたのである

「うるさい!」

と叫ぶその者の手首をさらに強くねじり上げて言った

「すべての人間は幸福になるために生まれてきたのだ!

それ以外の何ものでもない!

そして

幸福とは世のため人のために何かをする事だ!

だからこそそんな人間は

世の人々から感謝され必要とされ

幸福な人生が送れるのだ

お前がやっている行為は

ここにいるみんなが不幸になるだけでなく

おまえ自身も不幸になる行為だ!

わかっているのか?」

と周りの人々にも言い聞かすように

言い放ったのだ

暴力を振るっていた者は

強烈な痛さからやっと開放されたが

しびれてはいるものの怪我一つしていなかった

ただ人間として恥ずかしい行為を二度とするまい

この人は私よりはるかに強いのに

間違った行為をした私を必要以上に打ちのめす事もなく

この私にまで愛情を示し真の幸福までも教えてくれた

暴力を振るっていた彼は

心から改心する事ができたのである

お供の若者達も周りの人々も

王子の言葉に胸を熱く打たれたのだった

またある時は王子の評判を聞きつけた

子供ができないことを嘆く夫婦にこうさとした

「子供は世の中の宝だ

それは自分らの子であれ

他人の子供であれまったく変わりはない

そんなに子供を可愛がりたいのであれば

自分達が目にするすべての子供達に愛情をそそぎなさい

それは自分の子供のみ可愛がるよりよほど尊いことだ

そうではなく

単に自分の所有物として子供が欲しいのなら

犬か猫でも飼いなさい

自分らの子供が欲しい気持ちは痛いほどよくわかるが

子供は天からの授かりものだ

夫婦ともども心と体の健康に注意して

毎日を世のため人のために働いて

目に映るすべての子供達に愛情を注ぐならば

あなた達にたとえ子供ができなくとも

毎日幸福に暮らせる筈だ

この私が保証しますよ

またそうこうする内忘れたころに

神様から赤ちゃんを授かるかも知れない

それは私が決める事ではないけどね」

その夫婦は手を取り合って

泣きながら王子にお礼を言ったのであった

お供の7人もまた胸を熱くした

いつの間にか増えた一人は

以前とは見違えるほど凛々しく晴れやかな顔になった

王子に幸福とは何かを教えられた男だった

またある時は

ため池を巡ってとなり村同士がいがみ合い

武器を取り合って戦争寸前の状況に遭遇した

王子は両方の村のリーダーに会いに行き

事情を聞いてこうさとしたのだ

「あなた達となり村同士が戦争をして

お互いに何の徳があるというのか

誰かが傷つき誰かが死んで

その家族が悲しみ

仕返しでまた殺し合いが続く

それがあなた達リーダーの望みなのか

そんな無益な争いをするのではなく

今まで一つの村では決してできなかった

がんじょうな水路やより大きなため池の開発を

知恵と力をあわせてやりなさい

もちろん私たちも協力させてもらうから」



こうして王子はお供の7人とともに

行く先々に幸福の種をまいて行ったのだ

そんな痛快で幸福な旅が何年も続いた

王子のおかげで幸福に導かれた人々は

まるで神様に会ったようだと人々に話し伝えた

評判は広がった

しかし

それには尾ひれや背びれがついて

まるで魔術師のように言う人も後を絶たなかった

しかし王子にとって

評判や世間体などどうでも良かったのだ

ただ一人の人間として

目と心を全開にし

毎日の一会一瞬を幸福に過ごしたかっただけなのだ

何不自由なく育ち

だれよりも心身が健康であったからこそ

思い立った人間愛に逆らうことができなかったのだ

私が思うに

彼は宗教家や仏教の改組になる気さえも

さらさらなかったのではないか

しかし評判はますます評判を呼び

その評判を利用しようとする権力者が少しずつ現れる

王子が死んでからますます神格化され

その利用しようとする動きがますます活発化したのは

容易に想像できることだ

王子に直接指導を受けた者どころか

そうでない者までもが

王子が開いてもいない仏教の僧侶を名乗るようになり

またそれを時の権力者が都合のいいように利用し出す

中国の時の権力者などは

莫大なお金をかけて

全国各地に荘厳な寺を建て

立派な仏像を安置し

自分の言う事を聞く僧侶もしくは僧侶らしき人物を仕立て

人民から尊敬を集めるようにし

仏教を人民を管理しやすい道具に利用したのだ

それは王子が実践した人間愛でも幸福道でもない

仏像を拝んで念仏を唱えさえすれば

死んでから極楽浄土に行けるという

道理が通らぬ子供だましのような偶像崇拝にすり替え

捻じ曲げてしまった経緯を見ればわかる事だ

だからこそ

釈迦から数えて28代目の仏教界のトップであった

達磨(ダルマ)大師が中国(梁)に渡り

「仏教はそんなものではない!」

と梁の武帝(当時の中国のトップ)に直談判したのだ

しかし得手勝手な解釈を批判された武帝は憤慨し

達磨大師を追い払った

「こりゃだめだ」と

武帝の馬鹿さ加減にあきれた達磨は

河南省にある少林寺近くの洞窟にこもり

人々を驚愕させるほどの長期にわたる座禅の末

若き僧侶達に真の仏教と純武力たる拳法を教えた

しかし武帝は

自らの権威を危うくする真の仏教や純武術を

事あるごとに弾圧したのだ

その狭量さは中国トップに代々受け継がれ

中国の心ある人間の多くが弾圧されてしまった

そして人間釈尊が実践した人間愛と幸福道は

大国中国で長時間にわたってゆっくりと

確実に歪められていったのだ

仏教を20年がかりで学びに来た空海が

たった2年足らずで日本に帰ったのも

中国仏教の底の浅さを見抜いたからではなかったか

空海は独自の日本仏教を展開するも

中国同様に日本の為政者が

政治をやりやすくするために

仏教を国民を管理する道具へと歪めていく

檀家制度や寺請制度と称される人民管理システムである

またそうする事で

僧侶に化けた暗殺団や密偵が横行する事の不安をも排除したのだ

この制度に丸め込まれ屈服した僧侶達は

釈尊や達磨や空海のように

人間社会に飛び込んで人間愛や幸福道を説くことをやめ

お寺に安住し

住民台帳係(役所=公務員)

そして葬儀仕切役人(天国または霊界への旅行代理店)

となり現在に至る

(ただしそれはそれで世のため人のためになる職業ではある)

このように日本で培養された仏教もまた

人間愛でもなく幸福道でもない

単に墓参りとお葬式に接するだけのものでしかない

もし「それは違う」と言う方がいるなら

どこに善なる道を王子のように

人間愛を持って人々に教える仏弟子がおられるのか教えてほしい

王子が釈尊と人々から尊敬され愛されたのは紛れもなく

混沌とした社会に命がけで飛び込んで

なりふりかまわず人々を救ったからではなかったか

そうでなければ

これほど後世まで王子の名が釈尊として残るわけがない

王子は天国でこの状況をどう見ているのだろうか

かと言って

お寺や仏像そのものに罪はない

王子の心情に触れるための物と思えば

素直に手も合わせられる

しかし

いやしくも仏弟子たる僧侶の方々は

人間愛と幸福道を

人間社会に飛び込んで実践した人間釈尊を見習って頂きたい

せめてお経の一つも覚えたら

街に出て迷える若者を一人でも救って欲しい

そのたった一人の若者がそれから先

どんなに有意義な人生を送れるか

そしてどれほど多くの人に幸福なる影響を与えるか

そうして僧侶としての一力一正を積み重ねるのであれば

さぞや天上の王子もお喜びになるに違いない




 

 

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